おいしくて安心なごはんを提供すること。それは、生きる元気を提供するってこと。 1999年 中途入社 取締役 教育部部長  内藤光恵

徹底的に、お客様のために

定食屋じゃなくて、スタントマンになりたかったんです。

現在、大戸屋の教育部部長・取締役も務めさせていただいている私。
でも、最初から飲食業を志していたわけではありませんでした。
10代の頃の夢は、なんとスタントマン。大学卒業後は夢を叶えるため、
スタントの養成所に通っていました。
アクションの仕事だけでは食べられないからとアルバイトを探し、
たまたま見つけたのが大戸屋だったんです。
当時は、大戸屋を今のカタチへと育てた故三森会長もお店にいた頃で、
徹底的に顧客視点を教わりました。
オープン前に準備が間に合わなさそうだと、
会長は必ず率先してトイレ掃除をやってくださったり。
営業中に少しでもおしゃべりしていると「お客様に集中しなさい!!」とお説教されたり(笑)。
「お客様のために」という信念のもと、誰にでも真剣にぶつかってくれたんですよね。
そんな熱い指導もあり、どんどん大戸屋が面白くなっていきました。

大切なのは大戸屋の理念

タイに飛んで、ゼロからの立ち上げ。大戸屋という舞台は、私を何倍も成長させる。

そんな最中、ヘルニアを患ってしまい、スタントの夢を断念せざるを得なくなったんです。
でも会長に「舞台に立たなくても、人生そのものが舞台だろう」と言葉をもらって・・・。
それまで、人を喜ばせるのが楽しくてアクションをやろうと思っていたけれど、
「そうか、それはアクションでなくてもできるんだ」そう気づいて大戸屋に入社を決意。
接客が得意だったことから、教育部でトレーナーとしてデビューし、がむしゃらに働きました。
それから間もなく、初の海外店舗であるタイのお店の立ち上げで、現地指導という大役を任されました。
いざタイに飛んでみると、現地の社長からは「今日タイの子が8人来ますから研修をお願いします!」といきなり無茶ぶりで、
英語もしゃべれない子たちのトレーニングをすぐに実施しました。経営理念・接客の精神を教えながら必死の研修。
大変だったけど楽しかった。言葉がわからなくても、ジェスチャーと熱意で伝わるんだということを体感しました。
たった1ヶ月ですけど、まさに大戸屋という舞台で、人間として大きく成長できた体験でした。

病気を乗り越えて・・・

「ごはんが、おいしい」病院のベッドで、涙があふれた。

タイから戻って、やる気に満ちていた私。
女性初の部長に昇進するお話もいただき、バリバリ働きました。
お酒もタバコも遠慮なし。でも、体力には自信があった。それがいけなかったんですね。
ある日、会社で倒れて救急搬送されたんです。脳出血でした。
一命は取りとめたものの、目が覚めたら病院のベッドで一歩も動けない状況でした。
呆然としながら、自分を見つめ直しました。
大戸屋の理念は「人々の心と体の健康を促進し、
フードサービス業を通じ人類の生成発展に貢献する」。
研修でこの理念を教えていながら、自分の健康には全く気を遣えていなかったんです。
味がしない流動食を眺め、食欲も起きない。生きた心地がしない日々を1週間ほど送りました。
そして、あれは3月3日の雛祭りだったと思います。
2週間ぶりに、味のついたごはんが出てきた。食べた瞬間、思わず「おいしい」という言葉と涙があふれました。
「ごはんをおいしいと思えることが、こんなに幸せなことなんだ」。
完食できたことにも、今までにない喜びを感じました。

お客様の人生を支える仕事です

大戸屋の仕事は、食べる人の人生を支えている。夢を叶えるお手伝いをしている。

病気をして改めて考えた、健康、そして、ごはんをおいしく食べられる幸せ。
この体験を経て、大戸屋の仕事ってすごいな、と改めて感じるようになりました。
お店での手作りを貫いて、毎日食べても健康で安心な「にっぽんの食卓ごはん」を提供している。
それって、お客様の人生を支えていると思うんです。体は、食べた物でできている。
いいものを食べれば、健康になれる。
そして、健康でいれば、毎日元気で生きられるし、夢を持って叶える活力だって湧いてくる。
10代の頃の夢とは違うけれど、大戸屋で働くことで、お客様が人生を元気に過ごすお手伝いをしたい。
そして、大戸屋で働くスタッフの夢を叶えるお手伝いをしていけたら。それが今の、私の夢です。